テレビ番組,Webなど各種媒体の閲覧記
怪作「道徳戦士超獣ギーガー」 でおなじみの漫☆画太郎先生が次号ビジネスジャンプで復活!
44ページも用意する太っ腹のビジネスジャンプ(編集長:中村泰造)に一抹の不安を感じるぞ!
油断してたら年末辺りから急展開。今週は読んでて泣けてきました。あわれちゃんや社長への三番もあるんだろうか。あの場所に立つ日は来るのか。
たもっちゃんもがんばれ。
Rauru Blog:n「うつくしいのはら vs blog」にて見解をいただき、自分で書き足りなかったと感じた部分を記します。
自分は「つらくても人は生きていくモノ」と「生きていくこと」=「つらさ、罰」を肯定的に考えている。そしてこの「うつくしいのはら」の第一印象は「つらくとも前向きに生きる強さ」。
ただ複数回読み返すと、少年=兵士がこのループを抜け、別の兵士を動かす側の人間になった姿(極端だがスルタン)が浮かんできた。どっちが幸せなんだろう。わからない。物質面ではもらわない人間であるスルタンでさえも精神面には「もらう人間」だったのかもしれない。そんなことを考えているうちに悲観的な表現になってしまった。
昨晩、再度読んだ。少女=かあさんがループを抜ける姿をなぜか一度も想像できなかった。
なぜ?わからない。それは不幸せ?幸せ?わからない。
掲載誌:ビッグコミックスペリオール
字がよめたら世の中がわかる
商売ができる
ごはんが買える
かぞくがいっしょにいられる
字をおぼえましょう
「字のよめる」「もらわない人間」になろうとするが、やっぱり「字をおぼられない」「もらう人間」になってしまう親子が前向きに生きていく。死んでいく。生きていく話でした。
ねえ おかあさん
いつになったら 字をおぼえて
商売をして 人にものを
もらわずに 生きていけるの。
この言葉の後に死体が流した涙は「もらうのはみじめだ」の思いがいっぱいだったのでしょう。でも「もらわない人間」が良いかというと、そうとも言いきれず、それによって失われるモノがあるでしょう。「生」とは何かの罰を受けるためのスタート地点なのです。もちろん罰だけではないけれど。